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特集 夏の本:晩夏のための2冊 - みえないものをえがく(寺田慎平)

あるテーマから連想する本をさまざまな人たちから紹介、シェアしてもらおうという企画を今回からはじめることにしました。

第1回は、ムトカ建築事務所勤務を経て、現在ホワイト・ラインズ主宰の建築家、寺田慎平さんに「夏の本」というテーマでお願いしました。紹介された本を通じて、寺田さんの思考や想像力の一端、制作のヒントのようなものを垣間見ることができます。
佐伯
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耐え難い灼熱の夏には、夜の散歩が似合う。
「夏の本」というテーマを聞いて思い浮かべたのは梶井基次郎の短編と、梶井にまつわるひとつのエピソードだった。

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深い闇のなかから遠い小さな光を跳めるほど感傷的なものはないだろう。私はその光がはるばるやって来て、闇のなかの私の着物をほのかに染めているのを知った。またあるところでは溪の闇へ向かって一心に石を投げた。闇のなかには一本の柚の木があったのである。石が葉を分けて戞々と崖へ当った。ひとしきりすると闇のなかからは芳烈な柚の匂いが立ち騰って来た。
─梶井基次郎「闇の絵巻」
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闇!そのなかではわれわれは何を見ることもできない。それでも梶井は深い闇の中での出来事を、豊かな色や香りを用いて彩やかに描く。そんな梶井のあるエピソードが、伊藤整の自伝小説『若い詩人の肖像』にて紹介されている。

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梶井はある日、下宿の窓によりかかって、ボードレールの作品の話を私にした。[…]ボードレールの散文詩がいかに素晴らしいものであるかを、彼は、その中の一篇である硝子売りの話を引いて喋った。[…]
梶井が語ったそのボードレールの散文詩は私を魅惑した。[…]後で私はボードレールの散文詩を丸善で見つけ、先ず硝子売りの話を捜して読んだ。ボードレールは、梶井が言ったようには書いていなかった。硝子売りが持っていたのは、普通の透明硝子だけで、その透明硝子が飛び散った、という話にすぎなかった。私は本物のボードレールよりも梶井の語ったボードレールの作品の方が美しいのに気がついた。
─伊藤整『若い詩人の肖像』
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梶井がどのようにボードレールの散文詩を描写したのか、ぜひ本書を手にとって確認してもらいたいし、他にも紹介されているエピソード(子供に石を投げるのをやめさせた西洋人の話、なんてのもある)にも、梶井がどのように自身の体験を、詩的な作品へと発展させるために、イメージを養い育てていたかがあらわれているので、制作論として読んでみるのも面白い。

闇に小石を投げ入れてみたり、透明な硝子に変化を与えるための脚色をくわえてみたり、そのままでは描くことのできない対象を豊かに記述する梶井の創作術は、もしかすると建築の雰囲気(atmosphere/stimmung/ambiente)を考えるときの参考になるかもしれない。われわれはどのように暗闇や透明を表現することができるのだろう。

みえないものをえがくとき、重要なのは、一度、目の前の風景と心象風景を重ね合わてみることなのかもしれない。暗闇は恐怖をもたらすこともあるし、安堵をもたらすこともある。そんな変化はあくまで自分の心の機微の変化によるもののように思うし、そんなことを、透明硝子の散文詩を記憶違いしていた梶井を通じて考えてみるのもいいかもしれない。

梶井基次郎「闇の絵巻」
1930年初出。『檸檬・冬の日』(岩波文庫)など、現行の作品集には概ね掲載されている。

伊藤整『若い詩人の肖像』
1958年出版。講談社・新潮社・小学館などから刊行されている。

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寺田慎平 
1990年 東京都生まれ
2015年 ETH(チューリッヒ)留学
2016年 Christ & Gantenbein(バーゼル)勤務
2018年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻(都市史)修了
メニー・カンファレンス共同主宰
2023年 ムトカ建築事務所勤務を経て、現在、ホワイト・ラインズ主宰
Website: http://www.wlllines.net/